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ゲド戦記
宮崎吾朗 / スタジオジブリ 手ばなせない度 : ★★☆☆☆ 前回“原作者はいったいこの映画をどう評価するんでしょう? それが今いちばん気になります。”って書いたんだけど、ネット上で読めるんですね。 さすがル=グウィン女史らしく率直かつクールかつクレバーに、怒りと失望、そしてよかった点を表明しています。その指摘は的確そのもので、これこそ真の意味での批評というものでしょう。言ってる内容については、まぁ「やっぱりね」ってところ。多くの視聴者が抱いたのと同じような感想を持ったようです。 興味深いのは、失望の対象がこの作品を撮った吾郎監督ではなく、主に駿監督であるところ。たしかに今回明らかにされたようないきさつでは「だまされた」って思うでしょうね……。駿監督からの“感動的な/感傷的な/心のこもった手紙”には、その辺の事情について何か書かれていたんでしょうか? あらためて、何で原作の大ファンである駿監督が作らなかったの? って疑問がふくらみます。ここやここを読みかえすと、鈴木プロデューサーの思惑としては、これまでのように吾郎監督で進めていって途中で我慢できなくなった駿監督に交代させようとか企んでたんじゃねーの? とか勘ぐっちゃいますよ。 それにしても当初の計画通りに駿監督が“スクリプトには自分が全責任を持つ。読んで駄目だったら、すぐにやめさせる”ことを実践してくれていれば……そう思わずにはいられません。 という上の記事に関してゆぅさん曰く、 > 駿さんもいくらなんでも失礼ですよね。 > 自分に依頼がきてるのに息子にやらせるなんて。 とのコメントが。 うーん……。 これはあくまで私の想像なんですけど、駿監督がやれば原作を完璧にアニメ化することは間違いなく可能だったろうと思うんですよ。でも、原作の熱狂的なファンだから下手なアレンジなんてできず、忠実に原作どおりに作らざるを得ない。それは単なる作業。しかももんのすごくシンドイ作業。やるとしたらそれこそライフワークになっちゃうくらいの。クリエイター宮崎駿にとって、それはやっぱり二の足をふむことだったのでは? どんなに好きな作品であっても『ゲド戦記』はあくまで他人の作品で他人の世界。それをただ単に忠実に映像化するってのは、クリエイトではなくワークであって、20年前ならいざ知らず現在の宮崎駿にとっては苦痛だったのでは? 宮崎駿という御仁は、ご存知のようにかつての自分をぶっ壊しまくって、常に新しい映像表現を奔放に追及していってる。しかし『ゲド』は完璧なまでの完成度を誇る作品。さすがに好き勝手にできるものじゃない。そこから喚起される映像表現も、すでに自分の作品のなかで何らかの形で表してしまっている。いまさら、いまごろ『ゲド』ってのは……。 そういう感じだったんじゃないでしょうか? スクリプトには自分が全責任を持つと言いながら、結局 読まなかったのは、一度でも口を出したら、自分で最後まで全部やってしまいたくなることが『魔女宅』や『ハウル』での経験から分かっていたからでは? だとすると、やっぱり、ある意味“自分に依頼がきてるのに息子にやらせ”たことになるのかな……? ところでうわさの米TVドラマ版が無料配信中で観るつもりだったんだけど、ここ読んだらもう……。怖いもの見たさにも限度があるので。 by のぞみまつき |
by sironekonomiya
| 2006-08-25 05:03
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